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2005年07月27日

その場所からしか見えないものがある

障碍者(障害者)に対して「目が見えなくてかわいそう」とか「歩けなくてかわいそう」とか、同情(という表現が適切かわからないが)の言葉をかけると、「人を勝手に不幸にしないで」と本人に言われる。
そんなエピソードをいろいろなところで見聞きしたことがある。

そうは言っても、世の中は健常者のためのシステムが多く、障碍者は健常者と比較して不便な思いをすることが多いと思う。
しかし、それでも彼らの主張は正しい。理屈としては「幸福や不幸は相対的なものである」という言葉で説明がつく。
目が見える健常者にとっては、目が見えないことがかわいそうであるし、生まれながらにして視力を持たない人にとって、目が見えないことは当たり前のことなのだ。

そうだね。理屈の上ではね。
でも本当にわかっているの?


ところで、僕はお酒に弱い。
お酒を美味いと思ったことはほとんどない。頭痛や体のかゆみなど、お酒の副作用のマイナスイメージのほうが強い。
昔よりはほんの少し飲めるようになったといっても、付き合いという理由以外でお酒を飲みたいとは思わない。
それが僕の「当たり前」だ。

お酒が好きな人は、「お酒を飲めないなんて人生の楽しみの半分を失っている」とか、「お酒と一緒だと美味い食べ物がある。これを味わえないなんてかわいそう」とか、そういうふうに僕に言うことがある。
そんな事を言われたところで、ひどく傷つくというわけではないし、理屈としてはお酒が沢山飲めたほうが人間関係を円滑にする上で良いこともあるだろうと思う。
でも、改めて言われるまで、僕は全く不幸だとは思っていないのだ。ある人にとっては僕は不幸なんだと初めて気づく。

ここにいたって、僕は障碍者の気持ちがわかったような気がした。
これが「自分の当たり前を不幸とみなされる感覚」なんだな。
なんとも不思議な感じだ。

(念のために書いておくと、別にお酒の席が嫌いという話ではありません。自分のペースで少しお酒を飲んだり、ソフトドリンクを飲みながら雰囲気に酔うのは好きです。もちろん、冗談半分に僕を不幸と言った人をとがめる気なんてさらさらありませんよ。)

投稿者 sike : 2005年07月27日 23:49

コメント

面白い見方ですね。僕もお酒は強くないですが、もちろん不幸だと思ったことはないし、お酒しか楽しみがないような人の方が不幸だなと思ったりもします。
あることができることの楽しさを知っている(または想像できる)が、できない状態にあって初めて分かることなんですかね。
sike さんの猫たちも外に出れないのでかわいそうな気もするが、それも勝手な思い込みなんでしょうね。

投稿者 saito : 2005年07月29日 16:44

うちの猫たちはどう思ってるんですかねー。
完全室内飼い、不妊手術、などなど…猫好きな人々のセオリーなんですけど、猫初心者の僕は本当にそれで彼女らは幸せなんだろうかって考えてしまいます。
猫の言葉がわかればいいんだけど。

投稿者 sike : 2005年07月30日 23:15

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