2008年11月26日
へこたれない
いろんな人が言いました。
「諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する。
成功があるかも知れませぬけれども、成功より失敗が多い。
失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たなければならぬ。
たびたび失敗すると、そこで大切な経験を得る。
この経験によって、もって成功を期さなければならぬのである。」
「打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない。
打ち負かされたまま、立ち上がろうとせずにいる事が恥ずぺき事なのである。」
「真の『失敗』とはッ! 開拓の心を忘れ!
困難に挑戦する事に無縁のところにいる者たちの事をいうのだッ!」
へこたれないように心に刻もう。
投稿者 sike : 00:16 | コメント (2) | トラックバック
2007年06月01日
一段落
昨日はお仕事の締め切り日でした。
一昨日のミーティングのときには重い空気につつまれていたのに、終わってみればクライアントさんに良い評価をもらえました。
ゲームのクオリティは末期に急激に上がる。不思議だけどいつもそうなんだよなー。
完全に終わったわけではないし、延長戦があるかもしれないのだけど、とりあえず今週末は休めそう。
それに今日は3日ぶりに帰宅してニャンコどもにも会える。
わーい。
投稿者 sike : 06:05 | コメント (1) | トラックバック
2007年05月29日
金貸し商売って好きになれない
どうも新しいクレジットカードを貰いそこねたらしい。
カード会社からの郵便物の不在通知が日をあけて2つ届いた。
郵便局の人もせっかちだなー、そんなに何度も来なくてもそのうち取りに行くよ、とか思っていたのだが、どうもカードは2枚送られてきたようだ。
1枚を郵便局に取りに行って、残りの不在通知は捨ててしまった。
そういえばリボ払い専用カードとかいうのもあったな。
そんなの使わないからいらないのだけど、大人の事情で持っていたのだった。
そして、悪いことに受け取ったカードはリボ払い専用カード。
使えねー。
プロバイダの支払いにも使っているのでちょっと困った。
カードの恩恵にあずかりながらこんな文句を言うのもなんだけど、だいたいにおいてカード会社のおせっかいっていうのは嫌いなんだ。あの手この手で借金をさせようとする。
リボ払い専用って、その人の経済状態が許す以上にお金を使わせようっていう魂胆が見え見え。
それからたまに送られてくる「カードで借りられるお金の上限を引き上げられます」みたいなお知らせ。
カードで数十万とか借りてる時点でその人の経済状態は破綻してませんか?
カードと関係ないけど前給ってのも胡散臭い。
給料の前借りをできる制度らしいのだけど、そんな制度を売りにするより、十分な賃金を与えるとか、社員の経済観念を教育したほうがよいのでは?
「GWちょっぴり遊びすぎちゃった…」
これ前給制度の広告に書いてあったセリフ。そんな理由で借金していいの?
そんな自転車操業状態ではいつか破綻するに決まってる。
こんな制度、「わが社の社員は経済観念がありません」とか「わが社の社員は低賃金で貯金もできない状態なので、前借りをしないと生きていけません。」って宣伝しているようなものじゃない?
この手の金貸し商売が沢山あるってことは、やむをえない事情なのか単にだらしないのか知らないけど、ギリギリで生きてる人って結構多いのだろうか?
だとしても、この手の金貸しがその人たちにとって救いになるとは思えないのだけどなー。
投稿者 sike : 02:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月21日
いそがしい
忙しくなった。
この冷や汗がでそうなプレッシャー、数年ぶりだ。
おちつけ、俺!
ねこかるたを見て落ち着くんだ。
左下の「おいしく炊けました」がステキだ。
投稿者 sike : 01:57 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月15日
さみしい
やばい。
今すごくさみしい。
どれくらいさみしいかというと「さみしい」ってキーワードで検索してしまうくらいさみしい。
一番上に出てきたリンク先によると、O型の人は「いつもさみしい」らしい。
僕はA型なので「たまにさみしい」くらいだ。
でも今はすごくさみしい。
どれくらいさみしいかというと"I'm lonly"って間違ったスペルで検索して「もしかして:I'm lonely」ってGoogleさんに聞かれてしまうくらいさみしい。
訂正された検索の一番上は、さみしい人たちが沢山たどり着いているムービーコーデックの掲示板だった。
みんなGoogleに "I'm lonely" とかその類のキーワードを入力した人々だ。
繋がっている、と僕は思った。
「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。…(略)…「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。…(略)…だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
どれくらいさみしいかというと、こんなバカみたいなことを書いているくらいさみしい。
投稿者 sike : 03:24 | コメント (3) | トラックバック
2006年12月08日
分からないなら分からないなりに…
分からないことは無理に分かろうとせずに横に置いといてとりあえず進む。
そういうのが必要になる場面は良くあると思う。
例えば、英文を読んでいると何度読んでも全く意味がつかめない文があったりする。正しい訳を見せられれば一瞬で納得できるのだけど、一度誤訳してしまうと罠にとらわれたように間違った解釈から逃れられなくなってしまう。そんなときは、とりあえずその文はわからん文章として穴をあけといて、先に進んでしまったほうが良い。国語の穴埋め問題のように、前後の文脈から穴に入る文章の意味が類推できることは良くある。
僕はわりとそういう「わからんものをわからんままに放置する」能力はあると思っているのだが、それもやりすぎると問題だなーとも思う。例えば、仕事の見積もりをするとしよう。ゲーム開発の見積もり(に限らず多くの仕事もそうかもしれないけど)というのは、不確定要素が沢山あってなかなか難しい事が多いのだが、その一つ一つを全てわからんと放置しだすと、放置した穴だらけで結局何もわからないという状況になってしまう。
そういうときは、分からないなりにもっともらしい仮定を穴に埋めてみて、そこから考えを進めていくというべきなのだと思う。ある仕事があって、一つこなすのにどれだけ時間かかるかわからないし、それが何個あるかわからないとしても、最速でも一つ一日はかかるだろうとか最低でも何個は必要だろうという予想ができれば、そこから導きだされる結果で一番楽観的な見積もりはできるわけだ。楽観的見積もりでさえも大きすぎるとすれば、仕事の目標や手法を考え直す必要がある。出発点が仮定だとしても、導き出された結果にある程度のリアリティーはあるのだ。
しかし、僕はこの「分からないものを仮定する」という行為がどうも苦手だ。いろんな場合について仮定して結果を考えてみるという地道な作業が嫌いなようだ。「放置しておいたら後で上手く埋まるさ」とか「わからんものはわからんから考えても無駄」という考えに逃げがちなのだ。でもねー、頭では分かってるんだ。こういう面倒だけど地道な作業ってのが結構大事だってこと。
必要性を意識して慣れていくしかないんだろうなー。